いつも思うことなんだけど。
表現したいことがあって表現してる人と
表現したいけど何を表現するかは何でもいい人がいるじゃない?
というか目的と手段の順番が逆というか…私は完全に後者だなって。
得意なことも好きなこともイマイチないという。。。
そのうえで「何者かになる」必要はないと言われても、
何者でもない私になにができるのかなって…
思ったのでチャットGPTに聞きました。よ。
チャットGPT:「表現したいものがある人」と「表現したい人」
前者
- 伝えたいテーマが先
- 表現は手段
後者
- “表現したい欲”が先
- 何を表現するかは後からついてくる
これ、本当に別タイプ。
後者はよく悩む
なぜなら「私は何者なんだ?」問題にぶつかりやすい
- 特別な才能あるわけじゃない
- 明確なテーマもない
- 専門性もない
すると「じゃあ何を発信するの?」ってなる。
チャットGPT:「何者でもない」問題
ここも大事で、実は多くの人が
「何者かになってから表現しよう」って思う。
でも逆の人もいる。
表現していく中で“自分らしさ”が見えてくる人。
能力不足というより“居場所不足”に近い気がする。
つまり
- 何かを出したい
- でも安心して出せる場が少ない
- だから「自分に価値あるのか?」になりやすい
得意なことも好きなこともイマイチない
これ、少し違う気もする。
正確には「“肩書きになるほど”の何かがない」に近そう。
重要なのは「何者か」より“どんな感覚で存在できるか”
今必要なのは“肩書き探し”より“安心して出せる場所探し”かもしれない。
自称するのもアリかも?
居場所=何かに所属する?
そう考えると肩書ってやっぱり必要か。
というか肩書になる何かがほしいよ。ね?

欲しいのって、多分“すごい肩書”じゃなく
「自分を説明できる何か」なんじゃないかな。
例えば
- 書いてます
- 発信してます
- こういうテーマ好きです
それだけでも、
人って結構“居場所感”変わる。
待って待って…
上記チャットGPTの言う「自分を説明できる何か」ってこれ肩書なのでは…?笑
まあいいや。もう自称しちゃえばいいんじゃない?
資格が必要なやつはNGだけどさ。
例えば…
30代深層心理アドバイザーとか
ママとこどもの繋がり研究家とか!笑
…ほんま適当で草
いやそれで何になりたいねんって話になるわ笑笑
もーやめよーーー笑笑
現実と理想の間、すごい何かに憧れる…
何者かにならなくていいんだけど、何者かになりたいジレンマ!
チャットGPT:「自分を説明できる何か」って、かなり肩書に近い
“評価されるための肩書”じゃなくて
“自分の居場所を作るための肩書”ってところ。
人って「名前」をつけると存在しやすくなる
例えば
- 軽音部
- ブロガー
- 書き手
- イラスト描いてます
こういうのって“世界との接点”になる。
チャットGPT:肩書は後から定着するもの
「何者になりたいか」より「どんな感覚で生きたいか」の方が強いタイプなんだと思う。
でも現実と理想の間で揺れる、これも超自然。
「普通で終わりたくない気持ち」もあるんだよね。
でも同時に「現実的にそんな簡単じゃない」も知ってる。
肩書って実は“後から定着するもの”でもある。
例えば最初は
- なんか書いてる人
- 育児のこと語ってる人
- 感情を言葉にする人
くらいでも、続けてるうちに「あ、この人こういう人だ」って周囲が認識し始める。
だから今は無理に「私は○○です!」を決めなくてもいい気がする。
“肩書を探す”より“出し続ける”方が先かもしれない。
だからって今すぐどうこうできない!
確かに今は出し続ける方が優先かもしれないね?
そして現状に満足できている時はブログなんか書かないかもしれないね?(真理)
そういうことなんよ、多分。
今なんかくすぶってるのってさ、結局自分で何かできる段階じゃない気がする。
無理に行動を起こしてもこういう時って上手くいかない。
めっちゃわかる。それはわかる。
まあだからって何もしないわけにいかないから書いてるわけだよね。
うんうん、わかるわかる。
以上!解散!


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